漫画叙情詩・創る想い<lyric-poetry>

人生はかくも短きかな 漫画家に憧れた青年は まるで走馬燈のような時空を経、気がつけばはや白髪さえまじる。 時はだまって過ぎ往く。 .ここに四半世紀をつないで 漫画を世に送ります.

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楠勝平さんに宛てた永島慎二さんの追悼文

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               楠 勝平 さん

以下に掲載する文章は、1976年 私が19歳の時に東京中野の明屋書店で購入した「楠勝平 作品集」に収められた、楠さんに寄せた永島慎二さんの文です。
永島さんが楠さんをどう見ていたか、さりげなく書かれており良い文章だと思います。
今は永島さんも天国の住人となってしまわれました。
この文が2001年に青林工藝舎から出版された「彩雪に舞う」に収録されているのか、私は見ておりません。少なくとも青林堂の「楠勝平作品集」は限定版でしたから、ご存知ない方も多いと思いますので、ブログに転載させていただきました。楠さんの才能を惜しむ関係者の皆様方には、勝手なる転載を大目にみてお許しください。




 自立する作品                               永島慎二


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            永島慎二さん

楠勝平が死んだ。まだ死にたくないそういうふうにもがいて死んだそうだ。
一つの才能が死んでゆく時に、最後に、人生に、人々に示した愛情だった、とぼくは信じている。
彼とぼくのつき合いは、まことにへんてこりんな始り方をして、数えるほどにしか会っていないのに、友だちだったと、今は思いたい気持ちでいる。
おたがいに作品を読んでいたので、余計なはなしをしないですんだことが気楽だったのかもしれない。彼は、ぼくにたいして、会う度に その示す態度がはっきり違っていた。まったく無視する時と、永島さんと呼んだり、先生と云ったりした。
ぼくの方といえば、女房が彼の作品を好きだったこともあって、かならず目をとおしていたので、その都度、あるおどろきと、新鮮さを感じつつ心中おだやかならざる状態でありながら表面は先輩づらをしとおしていた。
話の内容はきまって、劇画であり漫画の話だった、といっても、他の作家の話などではなく、おたがいの作品についてであった。
今考えてみると、ぼくが、「きみの作品は周五郎の作品に似ているね」といった時、あのおちくぼんだ目を細め、肩をすぼめてにやりと笑って淋しげに、しかし力づよく「山本周五郎ですか」と云った時のあの意識の高さを、実はぼくは信じてはいなかったような気がする。
漫画の世界はおもしろいところで、つげ義春のように、何人かの評論家の文章によって一つの作品が、作品として、完成していった場合と、ぼくの漫画家残酷物語のように何人かの若ものたち協力と、峠あかねの解説で一応成功した例など色々あるわけだが、楠勝平のように、他を一切寄せつけることのない完成度を目指した戦慄的な作家は、彼をおいて他にはいない。漫画が、劇画が、人間の体温をつたえ得ることをしっていた、数少ない劇画家と呼ぶにふさわしい人だった。
楠勝平は死んだ。と同時に、彼を愛した多くの人達の中にすでに生き始めている。十年たって読みかえして古くならない劇画があるとすれば、世の中がどのように変わろうが、楠勝平の劇画は、時と共に読まれ続けていくだろう。作品について、とやかく書きたくても書く必要のないところに、楠勝平の死んでもなお高い存在感が、彼のすべてを物語るであろう。
最後に、彼の作品集をだしてくれる長井さんに、紙面をかりて読者の一人としてお礼を申し上げます。ありがとうございます。

     一九七五年  一月七日








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  1. 2009/02/11(水) 15:04:32|
  2. monologue(文章)|
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